〔Q〕北九州市の公害克服は、どのように始まったのでしょうか? 公害克服の歩みが分かる資料を紹介してください。
〔A〕北九州市の公害克服は、「青空がほしい」という戸畑の中原婦人会の運動から始まりました。汚染の実態を観察し工場に近いほど汚染度が高いことを確認しました。その後の取り組みは『北九州市公害対策史』の冒頭でこう紹介されています。
「これらの調査結果を踏まえ、昭和26年、中原婦人会は工場側がばい煙対策を講じるよう交渉するため、戸畑市議会に対し陳情を行った。市議会では、この問題を早急に取り上げ、市当局とともに工場と協議を行い、約1億円をかけて修理し集塵機を設置することになった」
このようにして始まった公害克服は昭和46年に公害対策局が設置され本格化していきます。その歩みは昭和41年から毎年刊行された『北九州市の公害』などに詳しく記されています。
◎参考資料
・『北九州市公害対策史』 北九州市産業史・公害対策史・土木史編集委員会公害対策史部会/編集 北九州市 1998年 <A020/キ>
・『北九州市の公害』 第1号〜第22号 北九州市衛生局・北九州市公害対策局 1966年〜1988年 <A080/キ/66-88>
・『八幡の公害』 林栄代/著 朝日新聞社 1971年 <K519/ハ>
・『公害行政の歩み』 北九州市公害対策局 1981年 <A080/キ>
・『≪写真記録≫これが公害だ』 林えいだい/著 新評論 2017年 <K519/ハ>